もう一つのモンキーターン
(1)ため息とガッツポーズ

作・マスタングさん



「じゃあな、純。」
「波多野君も気をつけてね。」
 東京・平和島競艇場。
 一般戦が終わりめいめいの選手が帰路につく中、波多野憲二も親友の岸本寛とあいさつを交わし、帰ろうとしていた。その後ろから彼を呼ぶ声が聞こえた。
「波多野さーん!待ってくださいよー!!」
そう言って波多野と同じスーツを着た一人の選手らしき男が急いでかけてくる。
「んっ?なんだ、阿部ちゃんか。」
阿部ちゃんと呼ばれたこの選手について簡単に紹介しておこう。
彼の名前は阿部修介。波多野達82期の2年後輩にあたる86期生の選手で、現在はA2級所属している若手の選手である。今回の平和島一般戦でも優出したのだが、波多野に見事にマクリ差しを決められ惜しくも3着で終わってしまっていた。
「で、何か用?阿部ちゃん。」
波多野の質問に息を切らしながら阿部が答える。
「波多野先輩この後ご予定ありますか?」
「いや、無いけど。」
「波多野先輩、よかったら一緒に食事に行きませんか?」
阿部のその言葉を変に勘違いした波多野は少し後ずさりをして、
「阿部ちゃんそっちの気があんの?」
と聞いた。その波多野の様子を見て察した阿部は半分怒りながら、
「違いますよ!!」
と否定し、真剣な顔をして
「実は波多野先輩に相談があるんです。」
と言った。

波多野達、東京支部の選手行きつけの居酒屋、その座敷席に波多野と阿部の姿があった。
「で、阿部ちゃん。相談ってなんだい?」
その波多野の当たり前の質問に阿部は少し照れた様子で答えた。
「あのー、波多野先輩って広島支部の小林瑞希選手と同期ですよね?」
「ああ、小林さんね。同期だよ。班も一緒だったしね。」
と言っても、D班なんだけどねーっと心の中で思っていた波多野をよそに阿部は続ける。
「その小林選手についてなんですが…。」
そう言った後に口ごもる阿部。そして、意を決したように言った。
「その、今度波多野先輩僕と一緒に宮島の斡旋ですよね。その時に紹介していただけませんか。」
「ぶっ!」
ビールを飲みながら話を聞いていた波多野は勢い良くビールを吹き出した…。

 

 広島宮島競艇場―――。

 一般戦2日目を迎え、レースをテレビで眺める選手の中にここ広島支部所属の小林瑞希の姿があった。
「あっ、昨日の彼出てるじゃない。」
その後ろから声をかけたのは小林と同じ支部の先輩でA1級の世良涼子である。
「何?気になってるの小林?」
軽く茶化す世良に小林はちょっと顔を赤くして答える。
「昨日あんな事されたらそれは気になりますよー。」
「あはは、たしかにねー。」
ここで二人が言っている『昨日のあの事』について書いておこう。居酒屋の阿部の頼みに驚いた波多野であったが快く了承し、宮島競艇一般戦初日に小林達にばったり会ったので約束通りに阿部を紹介した。ここまでは良かったのだが、普段から女性とあまり話したことが無い阿部は何を思ったか小林達に対し敬礼をして、
「阿部修介です。よろしくお願いします。」
と大声で言ってしまったのである。言うまでも無くその場は爆笑の渦。女子宿舎はその話で持ちきりになっており、阿部は変な意味で人気者になっていた。
そんな事をやってしまった阿部は選手控え室に居た。
「はぁ、何やってんだ俺。でも、くよくよしてても仕方ないな。今日は岡泉さんとのレースだし。」
一人昨日の失態に落ち込んでいる阿部であったが、このレースそうは言っていられない。
このレース阿部の他に同じ支部の先輩の和久井、更に阿部が波多野の次に尊敬している福岡支部の岡泉誠二とおよそ一般戦らしからぬメンツなのである。
「岡泉さんは1号艇、和久井さんは2号艇か。で、俺は3号艇。何とか枠通りに3コース辺りに入りたいな。」
そうこう考えている中、いよいよレース開始の時間になった。
コース取りは岡泉が得意のスーパーピット離れで手堅く1コースを、和久井も枠通りの2コース、阿部は4コースになってしまった。
「4コースか。スタートをしっかりいかないと。」
イン逃げ得意の岡泉となんとかやりあうにはスタートが重要である。しかし、スタートは横一線。
1コースながら好調モーターの岡泉はぐんぐん加速で一つ飛びぬける。
「よし!行ける。」
ここで岡泉は得意のインモンキー。そこに和久井が差しで切れ込み、遅れて阿部も差しで二人を追いかける。
「和久井さんのペラ、かなり回り足がいいぞ。だが伸びでは…。」
一週目バックストレッチ、順位はアウトから岡泉、1艇身半差で和久井、更に遅れて阿部の順。
この3選手で岡泉に次いで好調のモーターの阿部は伸びてくるが少し届かない。
「このままじゃ。追いつけない。イチかバチか。」
そう考えた阿部は艇をアウトに方向転換。そして第2ターンマーク、岡泉の艇を差そうとした和久井の艇とターンマークのわずかの隙間を渾身の超前傾モンキーで突き抜ける。
テレビを見ている選手達にもどよめきが起こる。
「やるねー、あの子。」
阿部の冷静な判断と思い切りのいい切れ込みに小林の横に居た世良も感心する。
「なに?」
阿部の波をもろに受けた和久井は後退。レースは岡泉と阿部の一騎打ちになる。
「やるやんけ、この若いの。だが、このモーターのわしはそう簡単には抜けんぞ。」
しかし、岡泉より体重の軽い阿部は岡泉に喰らいついてくる。そして2周目、第1ターンマークでまたも岡泉に差しで挑むが届かず1艇身差でバックストレッチ。
「まだまだ、この差なら分からない。やれる。」
バックストレッチでまたも艇をアウトに振る阿部。そして第2ターンマークに突入する。
「また差す気か?さっきみたいな差しでこの岡泉は差せんで!」
そういいターンしながらインを見る岡泉。しかし、インには阿部の艇は居ない。
「何?どこや。」
阿部の艇はいつの間にか岡泉の艇の真横に並んでいた。
「ツケマイやと!!」
またも会場にどよめきが起こる。
「岡泉さんの隙を突いたけど、このままじゃ彼届かないよ。」
世良がこう言うとおり、岡泉より少し遅れていた阿部のツケマイはこのままでは通用しない。
「ここだ!」
だが、ここで阿部の艇が持ち上がる。
「ウイリー!!」
小林が声を上げる。
ウイリーモンキーの阿部の艇は一気に加速、岡泉の艇を一気にちぎる。
「だーー!やられたーーー!!」
悔しがる岡泉。このまま阿部が危なげなく逃げ切り、1着を取った。
「やるわねあの子。顔もカッコイイし、ちょっと後で声かけてみようかな。」
そう冗談か本気なのか分からないことを言っている世良の横で小林は、無言でモニターを見つめていた。その先には高々とガッツポーズを上げる阿部の姿があった。

 

(つづく)

 

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