猫目石・陽 |
猫が去った後も、私はしばらくその場に佇んでいた。 仕方ないという思いと、猫が感じる恩義というのはこんなものかという不条理な落胆。 考えてみれば、「ゴロンタ」という名前で彼女を呼ぶ生徒は、この場にはもういないのだ。 彼女はもう、「メリーさん」か「ランチ」か、或いはまた別の名前で呼ばれているのだろう。
|
私はきびすを返すと、ことさらにゆっくりと歩き出した。 あるいは、物陰からひょっこりと猫が顔を覗かせることを期待していたのかもしれない。 私は再び銀杏並木を歩いていた。 見上げると、葉を落とした木々が、寒空の下で寂しい姿をさらしている。 やれやれと、視線を戻した時だった。
「お姉さま…」
|
懐かしい。 不覚にもそう思ってしまう、それは呼び名だった。 私は足下からゆっくりと視線をなぞって、深い色の制服の上に、志摩子の顔を見つけていた。 「どうなさったんですか」 志摩子の声が弾んでいる。 「別に。ちと、ゴロンタの顔が見たくなってね」 不意に口をついた理由。私の声も弾んでいたかもしれない。 志摩子は小走りに私の側に来ると、当たり前のように並んで歩き出した。
|
「それで、お会いになれましたか?」 「会ったけどフラれた」 「まあ…」 「でもいいんだ。…志摩子に会えたから」 「お姉さま…」 寂しがり屋なのは、志摩子じゃなくて私の方かもしれない。 そんなこと昔から知っているくせに、という内なる声を封じ込めて、志摩子の前を歩いた。
|
聖さま一人称は難しい。 |
2004.04.25 |